環境教育事業
富士山・火山写真展 
剣丸尾溶岩流【溶岩樹型】
この地は溶岩流(剣丸尾溶岩流)の周縁部に近いので,流れが弱かった.そのため,ここに生育していた多くの樹木は流れに負けることなく立っていることができた.(中には倒れているものもある.)溶岩は樹木を覆い,焼き尽くし,その形を残した.これが溶岩樹型である.(上の写真は直立していたもの,下の写真は倒れた,もしくは倒れていたものである.)
撮影場所:山梨県環境科学研究所
提供者:佐藤永史郎
 
剣丸尾溶岩流【船津胎内樹型(1)】
船津胎内は,巨大な樹型が複数連なって,溶岩トンネルに似た空洞を形成している.直線的で丸い断面をした空洞は,通常の溶岩トンネルではなく,巨大な樹幹が溶岩の中に飲み込まれてできたものであることを示している.
撮影場所:河口湖フィールドセンター
提供者:教育スタッフ
 
剣丸尾溶岩流【船津胎内樹型(2)】
樹型内の天井と壁面を撮影した写真である.溶岩に含まれる火山ガス(水素や一酸化炭素)が燃えて非常に高温になり,一度固まった溶岩が再び溶けて垂れかかったことによってできたものである.
撮影場所:河口湖フィールドセンター
提供者:教育スタッフ
 
大流れ
写真上半分やや左寄りに大きく窪んだところが確認できるが,これは「大流れ」である.富士山では1435年または1436年初頭に噴火があったことが史料『王代記』から推測されるが,小山氏(静岡大教授)によると,この噴火は大流れから起きた可能性が高いという.
撮影場所:大流れ下
提供者:植物生態学研究室
 
大流れ・白草流し
遠くから望むと優美に見える富士も,近くに寄ると火山としての荒々しさを実感することができる.富士山北側の最高峰白山岳から下方に大きな沢らしきものが2本見られるが,左が大流れで,右が白草流しである.大流れ・白草流しではしばしば土石流等が発生する.
撮影場所:西湖
提供者:佐藤永史郎
 
洞門は何のために?
スバルラインから御庭へ向かう途中,富士吉田市方面を撮影した写真である.写真手前にトンネルらしきものが見えるが,これが洞門である.土石流等から道を守るために設けられたものである.上方から流れてきた土砂等はこの洞門の上を走り,さらに下方へと流れていく.
撮影場所:大流れ・白草流し下
提供者:教育スタッフ
 
スラッシュフロー
気温の上昇や降雨が原因で固まっていた地表が融解し,凍結土層の上を滑り落ちる「スラッシュフロー(雪代)」が2004年12月5日に白草流し下で発生した.土砂は洞門へ導くための土塁を越え,洞門の前後に落下し,約3万立方mの土砂が道路に流出した.
撮影場所:大流れ・白草流し下
提供者:地球科学研究室(出典:内山ほか(2005年),地球科学59巻,153-154)
 
土砂崩れ対策の難しさ
土砂崩れ発生から3日後に撮影した写真である.復旧作業もかなり進み,ほとんどの土砂は取り除かれているが,洞門内部の壁面には,流入した土砂の痕跡がはっきりと残っており,その時の凄まじさを物語っている.スラッシュフローは92年12月にも発生しており,その対策のために洞門が設けられたが,今回の土砂崩れは防げなかった.
撮影場所:大流れ・白草流し下
提供者:地球科学研究室(出典:内山ほか(2005年),地球科学59巻,153-154)
 
土砂崩れの様子と復旧作業
撮影場所:大流れ・白草流し下
提供者:地球科学研究室(出典:内山ほか(2005年),地球科学59巻,153-154)
 
東西斜面の傾き(1)
富士山の右(西)と左(東)で傾斜が違うのは,噴火によって吹き上げられた火砕物が,偏西風により風下側に積み重なったからではないかと推測される.約2,900年前に起きた山体崩落(御殿場岩屑なだれ)によって流れた土砂の中には,古富士のものが多く含まれている.その後2,900年の間に,新富士火山の噴出物が崩落の跡を覆ったのではないかと考えられてる.(東西斜面の傾き(2)参照)
撮影場所:創造の森付近
提供者:教育スタッフ
 
東西斜面の傾き(2)
富士山の山体で傾斜が30°以上のところを,赤で表示してみた.富士山西側に赤い部分が多い.
撮影場所:創造の森付近
提供者:教育スタッフ
  

本サイトに掲載されている情報及び著作物の無許可転載・転用を禁止します。
(C)All rights on articles and contents within this site are reserved by authors and editors
.

No,2