研究余話

山梨県における環境ホルモン関連の調査・研究


環境生化学研究室 瀬子 義幸


 今回の研究余話では、現在世界中で問題となっている環境ホルモンについて整理し、さらに山梨県が開始した環境ホルモン関連の調査・研究について紹介します。

環境ホルモンについて

環境ホルモン 「環境ホルモン」という言葉は、公式には「外因性内分泌撹乱化学物質」と呼ばれており、環境庁は「動物の生体内に取り込まれた場合に、本来、その生体内で営まれている正常なホルモン作用に影響を与える外因性の物質」と定義しています。「動物の器官形成や成長、免疫機能の調節等に重要な役割を果たしているホルモンの作用を撹乱して、様々な異常を引き起こす化学物質」と言うことも出来るでしょう。ダイオキシン類、ビスフェノールA、ノニルフェノール、フタル酸エステル類、農薬など、70物質が環境ホルモンとして疑われていますが、今後研究が進めばもっと沢山の化学物質が環境ホルモンとして問題になるかもしれません。

「奪われし未来」の出版 世界中の多くの人々が環境ホルモン問題を認識したきっかけは、1996年米国での「Our Stolen Future(日本語訳「奪われし未来」シーア・コルボーン他著、翔泳社、1997年)」の出版といえるでしょう。それまでも環境中の汚染化学物質が動物のホルモン作用を撹乱して様々な障害をもたらすことは研究されていましたが、多くの注目は集めていませんでした。「奪われし未来」の中では、世界の野生動物に起きている様々な異変に関して文献調査を行った結果、汚染化学物質が野生動物のホルモン作用を撹乱しているのであろうと結論づけるまでの経緯が述べられています。さらに、かつて米国で流産防止薬として使われていた強い女性ホルモン作用を持つジエチルスチルベストロールによって、膣癌や停留睾丸の頻度が増えたことから、ヒトでも胎児期にホルモン作用を持った化学物質の影響を受けると不可逆的な(もとに戻らない)悪影響を受けることも述べられています。

環境ホルモン関連研究 この問題に対処するために、現在世界中で様々な研究が開始されています。環境ホルモンが環境中(水、大気、土壌等)にどれくらいあるかを調べる調査は、日本でも全国的規模で行われています。環境ホルモンの影響を的確にとらえて影響の有無を判断するには、環境ホルモンの生体に対する作用機構を解明する必要もあります。既に私たちのまわりにある多種類の化学物質にホルモンを撹乱する作用があるかどうかの見直しも始まっています。また、各地の野生動物の異変の有無を調べる調査も重要です。

どの様なホルモンの撹乱が問題とされているか?

 野生動物で見られた異変の多くは、生殖に関わるもので、女性ホルモン撹乱作用のあることがわかっているPCB、農薬DDT、ノニルフェノールなどによって引き起こされた可能性があるのではないかと考えられています。そのため、現在は女性ホルモン撹乱作用を持った化学物質に関心が集まっており、調査研究もこの点に関するものが多くなっています。それ以外には、脳の発達に重要な役割を果たしている甲状腺ホルモンの撹乱も問題となっています。

私たちは環境ホルモンの影響を受けているか?

 ヒトの精子濃度が減少しているか否かが問題となっています。子宮内膜症やアトピー性皮膚炎とダイオキシンとの関係も疑われています。さらには、子供の注意欠陥多動性障害なども環境ホルモンが原因ではないかと考える人々もいます。現在のところ、これらの現象や障害と環境ホルモンの関連は明らかになっていません。

環境ホルモンから誰を守るのか?

 もちろん全ての人々を護ることが目標ではありますが、特に胎児、乳児を守ることが重要です。組織や器官が形成される胎児期や成長期に受けたホルモン撹乱の影響が、大人になってから現れることがあります。いくつかの環境ホルモンについては、胎盤や母乳を通じて胎児や乳児に移行することがわかっています。そのため、胎児、乳児の環境ホルモン暴露を減らすには、母親となる女性がなるべく環境ホルモンを体内に蓄積しないことが大切です。

 乳児に母乳を与えることの是非が問題となっていますが、現在のところは母乳を与えることの利点(乳児の免疫力を高める等)を考慮して、母乳を与えることを世界保健機構(WHO)も勧めています。


図
母親が胎内に蓄積した環境ホルモン(特にダイオキシン)が
血液や母乳を介して胎児や乳児に移行します。環境ホルモンの
影響を受けやすい胎児や乳児を守るためには、母親となる女性
がなるべく環境ホルモンを胎内に蓄積しないことが大切です。

山梨県の行っている環境ホルモン関連の調査研究

(1) 山梨県の環境中に含まれる環境ホルモンの分析

 県大気水質保全課では県衛生公害研究所の協力を得て、環境庁がリストアップした環境ホルモン作用が疑われる70物質の内65物質(※注1)について、県内の河川水、地下水、湖沼水、大気、土壌、底質、魚に含まれる濃度を3年間かけて測定します。

 平成10年度に測定された結果は公表されていますが、全国調査と比較して特に高い濃度は出ていません。但し、これらの化学物質の環境ホルモン作用に着目した環境基準値は設定されていないので、測定データの評価については今後の研究や国の動きを見守る必要があります。

※注1:日本の環境には無い事が明かな化学物質とダイオキシン類等を除いた残りの化学物質。

(2) 山梨県内の河川湖沼に棲息する魚に対する環境ホルモンの影響調査

 多摩川のコイを調査し、オスの3割にメス化が認められたとする横浜市立大学の井口泰泉教授らの報告は、マスコミでも取り上げられご存知の方が多いことと思います。これ以外の日本国内の調査でも、オスの魚のメス化が報告されており、野生動物の異変が起きていることがわかってきました。原因は特定されていませんが、野生動物の調査が重要であることがわかります。

 山梨県でも、平成11年度から環境科学研究所と水産技術センターが中心となって魚を対象とした環境ホルモンの影響調査を行います。今のところ調査手法が確立しているコイを対象として調査を行いますが、多くの湖に棲息し食物連鎖の上位に位置するオオクチバス(ブラックバス)やブルーギルを対象とした調査も計画しています。

(3) オオクチバス、ブルーギルを用いた調査法の確立を目指した基礎研究

 オスの魚のメス化の程度を調査するためには血液中のビテロジェニンという蛋白質の測定が重要です。この蛋白質は、卵黄蛋白質の前駆物質で、繁殖期のメスの血液中には高濃度に存在しますが、オスの血液中にはほとんどありません。しかし、オスでも女性ホルモンの影響を受けると血液中にビテロジェニンが増えてきます。

そのため、オスの魚の血液中にビテロジェニンが増えていたときには何らかの化学物質によって性ホルモンが撹乱されてメス化していると考えることが出来ます。

 微量のビテロジェニン測定にはビテロジェニンに対する抗体を必要とします。現在コイのビテロジェニンに対する抗体は市販されてるので、コイを使った調査は可能ですが、この抗体はオオクチバスやブルーギルのビテロジェニンとは反応しないことが私どもの研究で明らかになりました。

 そこで、山梨県水産技術センターと山梨県環境科学研究所が中心となり、(株)クマモト抗体研究所、熊本県立大学環境共生学部と共同で、オオクチバスとブルーギルのビテロジェニンに対する抗体を作製する研究を開始しました。

 また同時に、メス化を誘導する化学物質を加えた水槽内で魚を飼育し、どれくらいの濃度でメス化が誘導されるかなどについて調べ、環境調査から得られたデータを解析するために必要な情報を得る実験的基礎研究も予定しています。

オスのコイ
女性ホルモン活性を持った環境ホルモンによって、オスにはほとん
どない卵黄蛋白質前駆物質ビテロジェニンが血液中に増えてくる。

終わりに

 環境ホルモン問題の解決方法には、地球温暖化防止のための努力と共通するところがあると思われます。環境ホルモンと考えられるPCBやDDTは、地球規模で環境を汚染しています。市民が安くて便利な製品を購入して大量消費する、あるいは企業がそれらを売る構造が、膨大な種類と量の化学物質を生み出し、環境中に放出してきたと言えます。環境ホルモン問題は、かつての公害病のように、ある特定の企業や組織を悪者にして解決できる問題ではありません。環境ホルモン問題解決には様々な科学技術(特に廃棄物処理や安全な代替製品の開発)の進歩も必要ですが、私たちがライフスタイルを変えて、危険な化学物質を身の回りや地球上から減らすことが出来るかどうかにもかかっているように思われます。

    

(せこ よしゆき)


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